魂がない。だからわかりあえない。

社会に善をなす者は、善だからこそ、

熟知しなくてはならない事がある。

 

魂を失ってしまった者と和解はできない。

 

絶望ではなく、

善なる者は決して和解はできない苦しい真実を

受け入れて、事に望めば光が見えてくる。

 

今までの常識や慣習を一度捨てて、

行動する必要性がある。

 

でも、なんという事であろうか、

魂の抜け殻の人間がたくさん存在しており、

己をかえりみることもできず、世の中に闇を放っている。

すべては消滅する定めとは知らずに。

 

魂をもっている者は、魂を失っている者が恐ろしい。

 

人をよく観察することだ。

魂をもっている者は、失っている者に、

激しい違和感と恐れを抱くだろう。

 

肉体としては存在しているが、確かにその者は、

どこにもいないのだから。

本当は幸せを求めている

何かをすれば、幸せになれるかもしれない。

自分では気づいていない、幸せの欲求。

つまり不幸せを自認している。

 

幸せは求めても手に入らない。

 

美味しいご飯を食べれば、幸せになれるかもしれない。

素敵な異性と結婚すれば、幸せになれるかもしれない。

 

幸せにはなれない。

自己満足が満タンになるだけだから。

 

あらゆる欲求に幸せを削除する。

ただ自分は満足したいだけだと、割り切る。

それが幸せの道の始まり。

沖縄の高江の方々、ごめんなさい

ごめんなさい、許してください。

昔に比べられないほど、

沖縄の状況に本土の人間は気づき、関心的です。

 

今まで本当にごめんなさい。どうか許してください。

 

権力側の目に見える形で暴力が、はっきりと顕在化しています。

この結果は力で支配する存在の激しい焦燥感が起こしています。

 

権力は愛が怖い。

 

ロウソクの火は消える間際、一度だけ大きくなります。

その時が権力が消滅する合図です。

それが現在です。

 

そう遠くない未来に権力は必ず衰退します。

どうか諦めないでください。

001

人民。

負けない。

立ち上がる。

この瞬間。

我が。

命のすべてなり。

いざ勇気をもって、

目覚める時。

 

泣く人。笑う人。さまざまだけど、

すべては覆される。その時。

 

大丈夫。闇は消え、慈しみの時間が

すべての人に降り注ぐ。

 

間違いは正される。今、そう遠くない時に。

高江の日本の末路的な大問題。そして国民の頭はボケモンGOへ。

高江の大問題。本当にどうする?私もふくめ本土の人間。

同じ日本で起きているのだから、

いつ本土で起きてもおかしくない。

 

さまざまな意見があるかと思う。

私には信じられないが、命をかけて抗議をする高江の方々を

批判する本土の人もいるだろう。

 

そんな人を批判する気持ちはないが、

ただ完全に無関心で生きている人には、

正直、感情が乱れる。

 

なぜ、同じ日本人同士で争わなきゃいけない?

 

配信元)Twitter 

'16/7/22 

高江N1ゲート前。
機動隊にロープで首絞められて
殺されかけて救急搬送される。
これのどこが
「沖縄の負担軽減」
なのか、直接説明しに来てよ、
あべさん。
ゴルフしてる場合じゃないですわ。
負担軽減しに来てよ。 pic.twitter.com/Q8ngBJsnO2

— ここあ (@cocoaokinawa) 2016年7月22日

 

配信元)Twitter

#高江


機動隊のストレートパンチ

マジムカつく pic.twitter.com/Ub8pQCEHhE

— りょ™️ (@napalm_debu) 2016年7月22日

 

沖縄の人は県外の人に、まず何をしてもらいたいのだろう?

ヘリパッドの建設工事

 

胸が苦しいよ。

 

私は神奈川県に住んでる。

沖縄の人は、皆に何をまずして貰いたいのだろう?

 

知ることの次は、何ですか?

それが知りたい人は、たくさんいるはず。

ごめん、同じ日本人なのに。今まで。

 

映画『標的の村』公式サイト

テレビが言うから、新聞が書いてあるから、正解って危険じゃない?

頭の良い人ほど、洗脳されてるって言われると、激しく怒る。

自分自身の教育課程を否定されると、苦しいからだ。

 

そんな人が今、幸せであればおおいに結構なんだと思う。

でも、もし不幸せなら一度、今の当たり前を疑問に思ってみたらどうだろう?

 

自分の信じてきた道を疑うのは、とても苦しい行いかもしれない。

でも、もしかしたら、その作業こそが真の幸せに導く行いである、

可能性はとっても高いかもしれないよ。

 

私の息子の肌は美しくなった。以前はアトピーが酷く、可哀そうだった。

 

医者に行くこともなく、薬なんて一錠も飲まない。

それでも回復した。

 

真実はきっと、今、見ている常識や社会通念上の概念の外にあると思う。